夫がアスペルガーではないかと思うようになり、いろいろな本を読んだ。
どの本にも『病気ではなく個性であるため、家族や周りが理解すべき』とあった。
仕事もせず、何でも気の向くまま、したい放題の夫。
でもアスペルガーという個性だから、妻である私が理解すべきなのだと。
心身共に満たされることのない日々。
子どもなら分かってくれるはず、と子育てに力を注ごうとしてきた。
それでも上手くいくことばかりではないのが育児。
喜びも悲しみも共感しあうことができないどころか、何かにつれ揚げ足をとろうとしてくる夫に、私もゆずれないところは真っ向勝負で臨んできた。
しかし、いくら心を込めて話しても思いは通じず、出てくるのは大声と涙ばかり。
逆に淡々と言葉を連ね、理屈でたたみかけてくる夫。
私は悔しさ、もどかしさから、夫を叩いたり、腕に噛みついたりと、今までにない経験をすることも。
自分は間違ってないのに、自分は間違っている。
どんどん自信をなくしていった。
むなしさという、心のぽっかりが大きくなる日々。
外出先で楽しそうに食事しているよその夫婦をみかけるのが切なかった。
しかし、結婚相手として彼を選んだのは私で、これは自分が選んだ道。
親やきょうだいに言ったところで、心配かけるだけだから言わない。
子どもたちにとってはいい父親だったので、いっそのこと離婚もと考えても我慢。
夫が死んだら、人生を振り返る時に初めて、私がどれだけ大変な毎日を過ごしてきたのか分かるだろう。
『死んだら分かる』
『死んだら分かる』
『死んだら分かる』
この言葉が私の心の支えとなっていた。